- 蔦屋重三郎が生まれ育った場所
- 蔦屋重三郎の書店は何処にあったのか
- 蔦屋重三郎のお墓は何処にあるのか
2025年大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」で横浜流星さんが演じる主人公・蔦屋重三郎。
この記事では、大河ドラマの舞台となる蔦屋重三郎のゆかりの地について紹介していきます。
蔦屋重三郎ゆかりの地
江戸のメディア王と呼ばれた蔦屋重三郎は吉原で生まれ育ち、初めは吉原大門前の茶屋の一角で貸本屋として商売をスタートさせました。
その後、徐々に人脈を広げ版元としての手腕を発揮するようになり、出版文化の発信地である日本橋に「耕書堂」という自分の店を構えます。
彼が生涯の多くを過ごし、大河ドラマの舞台となる場所について紹介していきます。
吉原大門跡(東京都台東区)
蔦屋重三郎は、吉原の引手茶屋(吉原の案内所のようなところ)の養子として育ちました。
上に義理の兄もおり、その義兄・次郎兵衛が営む茶屋が吉原大門口間道の左側にあったとされています。
蔦屋重三郎はその茶屋の一角で貸本屋を営み、吉原の遊女たちに本を届ける仕事などをしていました。
その後、大手版元である鱗形屋孫兵衛に出会い、吉原細見の小売を任されることとなるのです。
〒111-0031 東京都台東区千束4丁目15 仲之町通り
お歯黒どぶの石垣擬定地(東京都台東区)
お歯黒どぶとは…新吉原遊郭を囲み、 遊女の逃亡を防ぐために設けられた溝のこと。
お歯黒どぶの名残として、今でも土地の高低差が見られる場所があり、現存している石垣は写真に写っている石垣のみだそうです。
蔦屋重三郎は野心に満ちた版元でしたが、その一方で自身が生まれ育った吉原の再興に尽力した人物であると言われています。
蔦屋重三郎が出版した「吉原細見」や「一目千本」がヒットしたのは、遊女屋の主人や遊女たちが本の制作に協力的だったのいうのも一因です。
それは彼らが吉原を盛り上げようとする蔦屋重三郎の姿に、心を打たれたからではないでしょうか。
〒111-0031 東京都台東区千束4丁目33−12
蔦屋重三郎「耕書堂」跡(東京都中央区)
蔦屋重三郎は1783年・33歳の時に日本橋に地本問屋「耕書堂」を開店させました。
「書を耕す」っていう名前もなんだか粋だね!
現在、建物はもう残っていませんが大伝馬本町通りに説明板が設置されています。
日本橋といえば東海道をはじめとする「五街道」の起点で、全国からの情報文化が集まり、書籍や浮世絵などの出版・流通も盛んに行われる場所でした。
吉原の茶屋の一角の貸本屋から始まり、とうとうそんな一等地に自分の店を構えることができた当時の蔦屋重三郎はどんな気持ちだったでしょうか。
〒103-0011 東京都中央区日本橋大伝馬町13
正法寺・蔦屋重三郎碑(東京都台東区)
多くのヒット作を世に送り出し巨万の富を築いた蔦屋重三郎でしたが、その生涯は短いものでした。
脚気により、48歳の若さでこの世を去った蔦屋重三郎の石碑は台東区浅草の正法寺の敷地内に建てられています。(正法寺は蔦屋重三郎の菩提寺であり、かつてここに彼のお墓があったとされています。)
この石碑は生前の蔦屋重三郎と共に本を作り親交の深かった狂歌師・石川雅望と大田南畝により建てられたようです。
面倒見がよく、また人の才能を見出す力に長け、些細なことは気にもしなかったという蔦屋重三郎。
文化人に慕われた彼の訃報に、悲しむ人は多かったことでしょう。
〒111-0025 東京都台東区東浅草1丁目1−15
2025年1月・台東区民会館に大河ドラマ館がオープン予定
主人公の蔦屋重三郎が生まれ育ち、その才能を開花させた地である吉原は、現在の東京都台東区にあたります。
その台東区では大河ドラマの放送に合わせ、2025年1月中旬より「大河ドラマ館」をオープンします。
ドラマ館では登場人物の衣装や小道具、ジオラマの展示等を行ったり、観光案内をしたりとさまざまな企画がされているようなので、ドラマと共に蔦屋重三郎の生きた土地の魅力もより感じることができるのではないでしょうか。
〒111-0033 東京都台東区花川戸2丁目6−5
会場:台東区民会館9階
期間:2025年1月中旬~2016年1月(予定)
まとめ
2025年大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」の主人公・蔦屋重三郎のゆかりの地について以下の場所を紹介しました。
【東京都台東区】
- 吉原大門跡
- お歯黒どぶの石垣擬定地
- 正法寺・蔦屋重三郎碑
- 台東区民会館「大河ドラマ館」(2025年1月中旬〜)
【東京都中央区】
- 蔦屋重三郎「耕書堂」跡
ドラマ放送が楽しみですね!