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蔦屋重三郎は何した人?大河「べらぼう」主人公の功績とは?

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この記事でわかること
  • 蔦屋重三郎がいつの時代の人なのか
  • 蔦屋重三郎は何をした人?
  • 蔦屋重三郎の何がすごいのか

2025年の大河ドラマは「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」です。

主演は横浜流星さん。

江戸のメディア王と呼ばれた「蔦屋重三郎」を演じます。

レミクマ

2025年の大河ドラマの主人公「蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)」がどういう人物なのか詳しく解説するよ!

目次

蔦屋重三郎って何した人?

蔦屋重三郎肖像(山東京伝『箱入娘面屋人魚』より)国立国会図書館所蔵

蔦屋重三郎はいつの時代の人?

蔦屋重三郎(以下、蔦重といいます)の生きたのは、1750〜1797年。

レミクマ

主に第10代将軍・徳川家治〜第11代将軍・徳川家斉が治めた時代だよ!

蔦重が活躍したのも、家治の側近・老中田沼意次による政策で商業が発達し、江戸の街が華やかに活気づいた頃でした。

しかし田沼が失脚し、幕府は一変して民衆に厳しい倹約令を強くようになります。(寛政の改革)

蔦屋重三郎は何をした人?

蔦重は版元・地本問屋と呼ばれる商人でした。

人気のある版元は流行に常に敏感でなければならず、蔦重はその才能に長けていたのです。

版元・地本問屋とは?

版元とは、今でいう「出版社」のこと。
小説や浮世絵の企画を立てたり、才能ある浮世絵師たちをプロデュースしたり、彫師や摺師を指揮して出版物を制作したりしていました。

地本問屋とは、浮世絵や洒落本など民衆が楽しむために見るための本を扱う書店のこと。

蔦重は、版元であるだけでなく自らが出版した書籍や浮世絵も販売していました。

出版社・卸・小売店と分かれて書籍を流通させている現代と比べると、かなり多くの業務をこなしていたことになりますね。

蔦重は流行に敏感なだけでなく、人脈が広く交渉力もあったため次々とヒット作を生み出しました。

そして、蔦重には人の才能を見出す力もありました。

彼が発掘し育てた絵師として特に有名なのは、喜多川歌麿東洲斎写楽

美人画で有名な喜多川歌麿は蔦重が手塩にかけて才能を磨き育てたと言われています。

蔦重が晩年に独占プロデュースしたのが、歌舞伎役者の絵で有名な東洲斎写楽

レミクマ

今でいう「敏腕プロデューサー」みたいな感じだったんだね!

蔦屋重三郎は何がすごい?

凄腕の商人なのはわかったけれど、大河ドラマの主人公になるほど?

一体、蔦屋重三郎の何がすごかったのか?

それは、彼の強い信念にあります。

数々のヒット作を飛ばし、富を築いた蔦重ですが、時代の流れにより大きな壁にぶつかりました。

それが寛政の改革です。

寛政の改革とは?

当時の老中・松平定信が強いた倹約令で、戯作や浮世絵は世の中の風紀を乱すからと版元や作家たちは厳しい取り締まりを受けました

蔦重自身も財産を没収されるなどの処罰を受け、執拗に妨害されます。

しかし、そんな幕府の弾圧にも屈せずに蔦重は版元としての活動を続けます。

上のものにも世間の逆風にも負けず、自身の強い志を貫いた蔦重と周囲の文化人たちの生き様に魅力的なドラマがあるのでしょう。

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まとめ

蔦屋重三郎とは
  • 江戸時代中期の商業が活発だった華やかな時代を生きた人物
  • 浮世絵や洒落本などを企画・制作し、ヒットを生み続けた人物
  • 幕府の取り締まりにも屈せずに、自らの信念を貫いた人物

蔦屋重三郎は優れた商売人であり、幕府の弾圧にも負けない強い信念を持っていました。

2025年の大河ドラマは「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」の主人公・蔦屋重三郎。

優れた手腕でさまざまな作品を世に出した彼は江戸の民衆の心を掴んだ名プロデューサーでした。

それと同時に幕府の弾圧にも負けず、死ぬまで信念を貫き通した人物でもあり、ドラマではその魅力ある姿を横浜流星さんの演技を通して堪能できるはずです!

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この記事を書いた人

本とテレビが好きなシロクマ。
(中身は30代の人間)

初めて大河ドラマを観たのは2004年「新撰組!」
その後、2008年「篤姫」で宮崎あおいさんの演技に泣き、
そこから大河ドラマにハマる。

気になるものはとことん詳しく調べる習性がある。

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